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ヘルベルト・エルンスト・カール・フラームの政治活動

大変興味があります。
ヘルベルト・エルンスト・カール・フラームのまじめな話。実は知らないことばっかりでした。


初期の政治活動
本名はヘルベルト・エルンスト・カール・フラーム (Herbert Ernst Karl Frahm) 。リューベックに私生児として生まれる。のちに政治家になってから政敵にそのことを攻撃されたが、彼は一切ごまかそうとせず、却って周囲の評価を高めた。育ての親でもある母方の祖父がドイツ社会民主党(SPD)党員だった影響で、早くも10代前半から同党の地元機関誌に寄稿し、1930年に17歳でSPDに入党。政治活動の傍ら地元の造船所で働いていた。

1933年のナチス政権樹立後にSPDが活動を禁止され、反ナチス活動を展開。1934年にノルウェーに渡って党の地下活動の傍ら、歴史学を専攻。当時の偽名“ヴィリー・ブラント”をのちの1947年に正式な通名とし、政治家としての名乗りに用い続けている。他にもノルウェー人の知人から借りた「グンナー・ゴースラン」という偽名を使い、ドイツへの潜入やスペイン内戦の取材活動の際に用いていた。1938年、ナチスにより国籍を剥奪され、ノルウェー国籍を取得。第二次世界大戦中の1940年にノルウェーがドイツ軍に占領されたとき捕虜になるが、正体がばれずにすぐ解放され、スウェーデンに亡命。この亡命先でユダヤ系オーストリア人ブルーノ・クライスキーと知り合うが、彼はのちにブラントと同時期にオーストリア首相を務め、終生の友となった。

終戦後の1945年、ノルウェー紙の記者としてドイツに帰国しニュルンベルク裁判を取材。1948年にドイツ国籍を回復。第二次世界大戦中に国外亡命していたという経歴も、のちに政敵に攻撃されることになる。


1969年の連邦議会選挙でSPDは勝利、ブラントはドイツ社会民主党・自由民主党の連立政権を誕生させ、西ドイツで初めてのドイツ社会民主党出身の連邦首相となる。

連邦首相として東ドイツやソ連を始めとする共産主義諸国との関係改善を推し進める「東方外交」を展開した。1970年には訪問先のポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットー跡地で跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表した。同年、エアフルトで東ドイツのヴィリー・シュトフ首相・国家評議会副議長と会談し、初の東西ドイツ首脳会談を実現した。これらの功績により1971年にはノーベル平和賞を受賞。1972年には東ドイツと東西ドイツ基本条約を結び、お互いを国家として承認した。こんにち政治学者や歴史学者の一部は、東方外交がのちの東欧革命やドイツ再統一の基礎となったと評価しているが、当時は保守派の政治家から激しく攻撃された。なお1973年にはドイツの首相として初めてユダヤ人国家イスラエルを訪問した。

内政では「より一層の民主化」をモットーに行政・教育改革を目指したが、1973年の石油危機などによる経済停滞もあり、実現したものは少なかった。ブラントに離反してSPDからCDUに鞍替えする議員も跡を絶たず、1972年にはきわめて異例ながら大統領に自発的な連邦議会解散を申し出て総選挙に打って出ている。また当時国内外でドイツ赤軍など左翼過激派の活動が激化していたが、1972年に過激派への取り締まりを強化する政令を施行して対応した。左派はこの政令を激しく批判し、またブラント自身ものちにこの政令が誤りだったと告白している。

1974年、個人秘書ギュンター・ギヨームが東ドイツ国家保安省の潜入させていたスパイであった事が発覚、ギヨーム逮捕と共に引責辞任(ギヨーム事件)。財務相のヘルムート・シュミットに連邦首相の座を譲った。なおブラントには在任中も個人的な女性問題やアルコールに関する噂が絶えず、それを野党やメディアに激しく攻撃されて健康状態を悪化させるほどの精神状態になっており、ギヨーム事件の責任をとる格好で辞任したとも言われている。潔く首相を辞任したのち、ブラントへの個人攻撃はおさまった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月31日 16:35に投稿されたエントリーのページです。

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