国道の古今にこんなに深い意味があったとは知りませんでした。
明治時代
近代の日本における国道は、1876年(明治9年)太政官達第60号で、県道、里道とともに定められたのを起源とする。このときの国道は一等国道、二等国道、三等国道の三種に分けられ、幅員はそれぞれ七間(約12.7m)、六間(約11m)、五間(約9m)と定められた。
しかし、国道の路線が初めて確定されたのは1885年(明治18年)のことである。このときに従来の国道区分を廃止し、全ての国道の幅員を七間と改め、いわゆる明治国道が指定された。一号「東京ヨリ横浜ニ達スル路線」、二号「同大阪港ニ達スル路線」をはじめとして、四十四号「東京ヨリ沖縄県ニ達スル路線」までの44路線である。当時の中央集権的な性格を反映して、全ての路線が東京を起点としており、他の路線と重複する部分がかなり多かった。天皇が地方へ行幸する際の行幸路の意味合いもあったと思われる。
日本では鉄道優先の政策が採られていたため、道路整備は諸外国に比べ遅れをとった。しかし、日清戦争・日露戦争以降は軍事的な目的もあって、道路事業費の増加が見られている。
大正時代
いわゆる明治国道の路線は、1915年(大正4年)の最終改定までに17路線が追加された。
その後、1919年(大正8年)に、戦前の道路整備の基本法となった道路法(大正8年4月11日法律第58号、旧道路法とも呼ばれる)が公布された。これにより、従来の道路路線は廃止され、いわゆる大正国道が新たに定められた。この大正国道は
東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団軍司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ナ開港ニ達スル路線
主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線
の二種類からなり、東京市から各地方へ達する前者の路線については38路線が、後者の軍事路線については26路線がそれぞれ定められ、国道は計64路線となった。明治国道に比べて軍事色がかなり強くなったことを特徴とする。
以降、政府は1920年(大正9年)から「第一次道路改良計画」を実施し、道路改良政策を施していったが、1923年(大正12年)の関東大震災発生により頓挫した。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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